移ろい咲きほこる少女たち:『FLOWERS 四季』感想

過去に書いた『FLOWERS 四季』の感想記事を再掲します。
※以下、重大なネタバレを含みます。

FLOWERS 四季 - PS4

FLOWERS 四季 - PS4

 

 

  『FLOWERS 四季』はInnocent Grayより2014年~2017年にかけて発売された『FLOWERS』の春篇、夏篇、秋篇、冬篇の4つをまとめて収録したオールインワン・パッケージである。

 全寮制のキリスト教系ミッションスクール「聖アングレカム学院」には、個々の性格などに合わせて3人組を作る「アミティエ」という制度がある。「アミティエ」とともに学院生活を過ごすうちに少女たちの間には交流が生まれ、それはやがてかけがえのない絆となる。

 『FLOWERS 四季』では、春~冬まで一気にプレイすることが可能だ。これが大変良かった。各篇は連続性があるものの、それぞれの「季節」でクローズアップされる人物が変わるため独立しているようにも感じられる。しかしながら春篇から始まる「匂坂マユリと白羽蘇芳の物語」は、作品全体を貫く軸となっている。この2人の物語が季節が進むごとに色濃いものとなり、冬篇ですべての謎が明かされて終結する構成となっているため、有り体に言えば「続きが気になって仕方がない」状態になる。そのため秋篇と冬篇を間髪入れずにプレイすることで、変に焦らされることもなく結末まで駆け抜けた充足感を味わうことができた。リアルタイムで秋篇と冬篇をプレイしていたらもどかしくてたまらなかっただろう。

〇春篇
 「春」は、新入生である白羽蘇芳を主人公として、彼女と彼女のアミティエ・匂坂マユリと花菱立花の物語を描いている。
 蘇芳は誰もが振り向くような美少女だが、ひどく引っ込み思案な性格。立花は面倒見が良く、根っからの委員長タイプ。そしてマユリは人好きのする華やかさがあるが、どこか陰を背負っている。3人のアミティエは同じ部屋で共同生活を行い、学院の行事を経て繋がりを深めていく。
 春篇には「マユリルート」と「立花ルート」があるが、正史(=次の季節に引き継がれる物語)は前者である。連作かつ各篇に複数ルートが設けられている以上避けられないことなのだが、正史ではない・選ばれなかったルートが「あったかもしれない未来」として現前する残酷さは拭えない。どうしてアミティエは3人なのだろう、2人ならば「選ばれなかったこと」に思いを馳せることもなかったのに、と苦悩したものだが、その答えは冬篇に用意されていた。
 『FLOWERS』は各篇のシナリオの山場を学院の行事に置いており、共同生活・学院生活の歓びと季節の移ろいの双方を強く意識させる。春篇の山場は「聖母祭」であり、ミッションスクールならではの雰囲気が心地良かった。聖母役を演じたマユリの美しさと儚さが、春篇のラストにおける「マユリの消失」に花を添えている。

〇夏篇
 「夏」になると主人公が八重垣えりかに変わり、物語の中心が彼女と彼女のアミティエ・考崎千鳥へと移る。
 えりかは春篇から登場していたが、謎めいた少女という一歩引いた立ち位置だった。千鳥は転入生のため夏篇からの参加である。同じ舞台で繰り広げられる新鮮な物語は夏らしい活気を感じさせるものだった。
 えりかも千鳥も変わり者である。えりかは車椅子生活ということもあり、人を食ったような性格のひねくれた女の子である。千鳥は当初抱えていた病により刺々しい雰囲気を全身から発散させていた。絶対にそりが合わないと思われていた2人が強制的に共同生活を送らされる中で不器用ながら心を通わせていく過程がとても丁寧に描かれており、愛おしくてたまらなかった。「人生は死ぬまでの暇つぶし」でしかなかったえりかが唯一無二と思える何かを手にしたことは、夏の陽光のようにひどく眩しい。

〇秋篇
 「秋」では、春・夏篇において名脇役のポジションを獲得していた少女たちが主役となる。生徒会のような組織である「ニカイアの会」の会長・八代譲葉。副会長であり譲葉の幼馴染の小御門ネリネ。蘇芳たちのクラスメイトの双子・沙沙貴苺と沙沙貴林檎。秋篇において彼女たちの感情と思考が語られることにより『FLOWERS』の世界がより厚みを持ったのではないだろうか。
 特に譲葉。春・夏篇における彼女は変人であり超人のような描かれ方をしており、その振る舞いはオプティミストとして映されていた。秋篇における彼女の一人称視点で、実は臆病なこと、意識して仮面を被っていること、幼馴染であるネリネに対する複雑な感情などが露になり、これまで積み重ねてきた印象がすべてひっくり返されたのは鮮烈だった。他にもネリネペシミストとしての側面や、双子の言動の幼さと相反する生々しくも成熟した感情の縺れ方などの意外性の連続が秋にはあった。
 これらの新たな側面はそれまで脇役だったキャラクターに生命を吹き込み、角度によって様々な輝きを見せてくれることを教えてくれた。名前のない花がないように、クローズアップされないキャラクターにもそれぞれの論理や信念、思慕があるという当たり前のことを実感することで『FLOWERS』の世界がぐっと近くに迫ってくるように錯覚した。

〇冬篇
 「冬」では先述した「マユリと蘇芳の物語」に決着がつき、堂々たるフィナーレを迎える。「なぜマユリは消えたのか?」という命題に対する解答の提示がなされるため、他の篇よりもややミステリ色が濃い。秋篇から様々な謎・伏線が撒かれていたためすべて回収しきれるか不安だったが杞憂だった。マユリが消えた理由を示すだけではなく、その理由を蘇芳が理解し納得したことが丁寧に描かれていたことが良かった。
 蘇芳はマユリ消失の真実を追い求め、妄執とも言える一種の狂気のもとでニカイアの会の会長職にまで上り詰めた。蘇芳が狂気に染まり切らずに済んだのは、もうひとりのアミティエとして彼女の側にいた立花のお陰と言えるだろう。春篇ではなぜアミティエは3人組なのだろう、と疑問に思ったが、冬篇まで終えてみると「3人で良かった」と心から思える。マユリを追い求める蘇芳の欲望への献身、立花の決して報われることのない無償の愛としての献身、このバランスが絶妙だった。
 冬篇を語る上で外せないのは演劇のシーンだろう。サンドリヨン(シンデレラ)の劇の中で蘇芳はマユリと再会する。このシーンの素晴らしさは春~秋篇での体験が無自覚の伏線として機能している点にある。これまで何度も描かれてきた学院の劇に関する行事。そのいくつもで蘇芳は脚本を担当している。彼女が書く脚本には、彼女の感情が登場人物のセリフの中に如実に表れている(夏篇でえりかが蘇芳の思考を台本から読み取っていたことは印象深い)。このサンドリヨンの劇も例外ではないことがあらかじめ推測できた。そして夏篇で千鳥が登場した際に「マユリと似ている」と話題になっていたこと。これらのエピソードの積み重ねが「王子役が千鳥からマユリに入れ替わり、王子と再会するシーンのセリフがそのまま蘇芳とマユリの再会と重なる」美しさを導き出す。この結実は連作だからこそ描けるものだろう。
 こうして断片的に抜き出してみると珍しくはないし先が読める展開でもあるのだが、「こうなったら良いな」という期待が叶えられたと受け止められる。この良さは実際にプレイして「体験」あるいは「思い出」として蓄積しなければ体感できないかもしれない。ネタバレを踏まずにプレイ出来て良かった。

〇四季を通して
 本作は全年齢作品であり、恋愛だけではなく友情もしっかりと描かれている。そのため、プレイしている途中では「百合でなくとも良いのでは」と思ってしまったのだが、こうして彼女たちの1年間を見届けてみると、蘇芳の執念は単に友情で片付けるには色濃すぎるものだった。やはり百合でなければならなかったのかもしれない。
 本作にはこのような「この設定でなければならない」と感じさせる点が数多く存在する。ミッションスクールという舞台は百合作品ではありふれたものだが、作中で描かれる学院行事を通した成長や、マユリ消失の真相はミッションスクールという舞台に裏打ちされたものである、というような点が挙げられるだろう。
 このような過不足のなさがシナリオの完成度を高めており、より深い没入感をもたらしているのだと感じる。

 中だるみする箇所もあったが、心から楽しめる作品だった。これから季節の移ろいを感じるごとに、美しく咲き誇っていた彼女たちを想起することだろう。