恋の身勝手さを慈しむ:『沙耶の唄』感想

 ニトロプラスの『沙耶の唄』をクリアしました。
 ※以下、重大なネタバレを含みます。

 『沙耶の唄』は、2003年にニトロプラスより発売されたアダルトゲームである。
  交通事故により家族を亡くしたうえ、脳に重大な後遺症を負った匂坂郁紀は、この世のすべてがおぞましい肉塊にしか見えなくなっていた。見慣れた自宅もかつての友人たちも、すべてがグロテスクに腐臭を放ち、憎悪の対象にしかならない。
 そのなかに現れた沙耶と名乗る少女は、狂って壊れてしまった世界のなかで唯一、美しく可憐な少女の姿をしていた。

 『沙耶の唄』は非常に短い作品で、腰を据えてプレイすれば2日ほどでその全貌を見渡すことができる。ただ、そのボリュームに見合わず内容は濃密で、いつまでも消えない余韻が残る作品だと思う。

 3つ存在するエンディングのうち、わたしは「羽化エンド」と「病院エンド」が印象的だった。どちらがより好きかと問われると答えることはできない。取り扱っている恋のかたち(あえて愛ではなく、恋と呼称する)が異なるからだ。

〇あどけない少女は羽化をする

 いわゆる「羽化エンド」では、敵対者(かつての親友であるところが哀しい)を沈黙させた郁紀と沙耶が穏やかさを取り戻したかと思えば、沙耶のからだは変態を遂げ、美しい蝶とも花ともつかない姿となる。この惑星を贈るとささやいた沙耶は世界をすっかり塗り替えてしまい、ヒトを沙耶の同種へと作り替えていく。
 作中で語られるとおり、沙耶はあきらかにこの惑星のいきものではない。クトゥルフ神話に登場する生物をどこか想起させるような姿や振る舞いで、無垢かつ邪悪にほほえむ。そんな彼女の属する種の目的は生殖と繁栄であると推測されており、沙耶もその目的を果たすはずだった。
 しかし、沙耶は郁紀に出会うまでは生殖のための活動を行わなかった。彼女を拾った、あるいは呼び出したと思わしき奥涯教授の遺した手記によれば、彼女は学習の過程で恋という営みの知識を得てしまった。ヒトは恋をして生殖に至ることを知ってしまった。恋をしていない彼女は、生殖をする気になれなかったのかもしれない、と。
 沙耶がヒトと恋をするのはほとんど不可能だっただろう。彼女の外見は、大多数のヒトからはおぞましい肉塊にしか感じられず、その向こうの知性にふれるには至らなかった。そうして彼女が育んだ孤独は、郁紀との出会いによってゆっくりとほどけていく。
 沙耶は郁紀に恋をした。そうして、生殖を行った。彼女は無数の子を産み、世界のすべてを恋の証に変えてしまった。その身勝手さと儚さにたまらなく心をうたれた。
 恋には身勝手さがともなう。熱にのぼせて、周りが見えなくなる。沙耶のはじめての恋にはたくさんの犠牲がともなったけれど、そんなことはどうでもいいと思った。
 羽化する沙耶はただ美しく、ひたむきで、恋をする少女の顔をしていた。

〇孤独な男は待ち続ける

 「羽化エンド」が沙耶の恋の身勝手さを描いたのならば、「病院エンド」は郁紀の恋の身勝手さを描いている。
 いわゆる「病院エンド」は「生物の構造を自由に作り替えることができる」という沙耶の能力を用いて、郁紀が事故に遭う前の認識を取り戻すことを選んだ場合の結末を描く。肉塊まみれの狂った世界を脱した彼は、人を食してしまったことをはじめとした様々な罪により逮捕されるも、責任能力が認められず精神病院に収容される。
 ベッドだけが置かれる白い部屋にただひとり佇む彼のもとに、おぞましい肉塊がその身を引きずってやってくる。携帯電話を用いて扉越しに言葉のやりとりをして、郁紀は肉塊――沙耶に愛をささやく。
 扉越しの逢瀬であっても、郁紀には沙耶が異形であることはわかっただろう。腐臭は隠し切れないし、粘ついた音も抑えることはできない。携帯電話を差し出す手も、ほっそりとした白い腕とは似ても似つかなかっただろう。
 それでも彼はそんな沙耶を愛し、また来てくれることを待つと言う。沙耶を美しい少女として認識できなくなってしまっても、彼は沙耶に恋をしている。
 郁紀の脳が事故以前の状態に戻ったことにより、沙耶はひとりぼっちになってしまった。沙耶は郁紀にとっての「美しい少女」でいられなくなったことを恥じているため、二度と彼の前に姿をあらわすことはないだろう。
 それでも、郁紀は沙耶を待ち続ける。それはひどく身勝手な行為であり、なんの結果にもつながらない可能性が高いのに、わたしは美しくてたまらないと思った。
 郁紀はマジョリティに戻った。もう肉塊まみれの世界に苦しむことはないし、大多数の人間と世界の認識を共有できる。それなのに、彼は彼の身勝手な恋により孤独になってしまった。まるで、ひとりぼっちになってしまった沙耶と共鳴するかのように。

〇その他の雑感

 短くまとまっているのに深く濃密で、すばらしい体験だった。郁紀に想いを寄せていた女性である瑶の扱いがかなりひどかったところがつらかったけれど、これもまた沙耶の無垢さと身勝手さを描くために必要な展開だったと受け入れることはできる。
 性描写が短く最低限であり、必要である理由付けがなされていたところもとてもよかった。ゲーム上の性描写がひどく苦手なので助かった。
 沙耶の正体と奥涯教授の謎を解き明かすくだりは、どこか『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』の現世編を想起させた。龍蔵寺邸を調査するどきどきに似ていて、とても楽しかった。
 いたずらな猫のような美しい超越者に人生をめちゃくちゃにされたいし、あわよくば世界もめちゃくちゃにされたいとしみじみ感じました。