千里の彼方でも:『千里の棋譜』感想

 先日、Nintendo Switch版『千里の棋譜~現代将棋ミステリー~』をクリアしました。大変すばらしく、エンドロールが終わってもなお涙をこぼすばかりでした。

 ※以下、重大なネタバレを含みます。

 『千里の棋譜~現代将棋ミステリー~』(以下『千里の棋譜』という)は、ケムコから発売されたアドベンチャーゲームである。ケムコといえば『レイジングループ』のすばらしさが記憶に新しいところだが、その他の作品にはほとんど触れたことがなかった。
 わたしは将棋を指せないどころか、駒の動かし方さえ曖昧に認識しているだけにすぎない。決してよいプレイヤーとはいえないのだろうが、それでもなお『千里の棋譜』にはのめり込んでしまった。簡単にいえば、将棋のルールがひとつもわからなくても面白いのだ。

○「千里眼」をもとめる第一部

 『千里の棋譜』は二部構成をとっている(オマケシナリオについては割愛)。第一部では、主人公のフリーライター・歩未が、幼馴染の棋士・長野を通して将棋界への取材を試みるシーンからはじまる。
 将棋連盟の会長宅で起こった事件を皮切りに、将棋界に隠された「千里眼」の影が見え隠れするようになる。この「千里眼」の謎と、将棋AI「飛燕」と名人の対決の行方が複雑に絡み合い、物語の展開は加速していく。
 第一部で印象的だったのは、やはり飛燕と翔田名人の対局に他ならない。たった一局、されど一局に人生を大きく左右される緊張感がすばらしい。
 この場面に至るまでに、さまざまな棋士たちのエピソードを経ている。長野の将棋まつりでの思い出、香蓮と祖父の関係、三段リーグを去らざるを得なくなった彼の悔悟。そのすべてが「将棋における名人の座の重み」につながる構成が本当に巧い。
 将棋は遊びのひとつだ。けれど、数百年をかけて脈々と受け継がれてきた歴史のひとつでもあり、多くのひとが人生をかけて目指す高みでもある。そのことを鮮やかに感じさせる物語だった。
 第一部の核となる「千里眼」の謎に対する解も、将棋の歴史を踏まえたスマートなものだった。そうあってもおかしくないと思わせる説得力があったし、なにより「千里眼」を謎のままにしたい動機が粋なものでよかった。

 森方九段の将棋おやつ、チョコレートケーキなんですか!?

○「神隠し」のヴェールを剥がす第二部

 つづく第二部は、三段リーグでの一幕から物語がはじまる。第一部ですっかり愛着を抱いたキャラクターである長野と香蓮に加え、女性としてプロ棋士をめざす杏樹、快進撃を続ける中学生棋士の北条にもスポットが当たる。
 三段リーグでは、上位2名のみがプロ棋士への切符を手にすることができる。作中でも語られているとおり、もっとも熾烈な争いが繰り広げられる場所だ。物語が進むにつれて、愛おしいキャラクターたちのなかでプロになれる者とそうでない者が生まれてしまうのだ、と筆舌に尽くしがたい感情に包まれた。
 彼らの人生を懸けた対局の行方を見守るなかで、北条が奨励会を退会してしまう。彼は四段リーグに上がれることがほぼ内定していたほどの実力者であり、辞めてしまうことに合理性がない。彼の真意を探るなかで、歩未たちは「神隠し」という将棋界の闇と向き合うことになる。
 ここからの怒涛の流れが本当にすばらしかった。神隠しの謎、闇に葬られた過去の対局の真相、三段リーグの戦況が複雑に絡み合いながらも、物語はうまく収束する。
 由島での騒動は、ミステリ的に首をひねるところもあったものの、存在しないと思われていた封じ手が見つかるところはどきどきした。神隠しの真相もやや壮大すぎると思わなくもないが、本作の主眼は勝負師たちの生き様なのだと思えばあまり気にならなかった。

○千里の彼方でも受け継がれてゆくもの

 「神隠し」の謎が解けて、北条が抱える問題が無事に解消されたところで、物語のクライマックスである三段リーグの結末を見届けることとなる。もう後がない長野と香蓮はもちろん応援したいが、わざとヒールを演じていた杏樹のことも愛おしくてたまらない。実力は拮抗しており、誰がプロになってもおかしくない展開だった。
 香蓮と杏樹の対局以降の一連のシークエンスは、きっと忘れることができないだろう。香蓮の覚悟に泣かされ、長野の将棋に対する真摯さに泣かされ、連綿と続いていく想いのリレーにすっかり泣かされてばかりだった。
 長野という棋士が生まれたのは、翔田名人が切っ掛けだった。さらに、長野という棋士は北条を将棋界に導いた者でもあった。この、受け継がれていく運命とも呼べる連鎖に、胸が熱くなって仕方がなかった。
 長野が負けてしまったことが悔しい。プロになれなかったことが悔しい。一介のプレイヤーでしかないのだけれど、自分のことのように悔しくてたまらなかった。彼の将棋に対する愛情は本物であり、確かな技術も身につけていたのだけれど、それだけでは勝てないのが将棋という宇宙の妙だ。
 だからこそ、最後の陣屋での対局には救われた思いになった。長野の想いは森方九段がきちんと受け止めてくれるのだろうし、彼が生きた証もまた、棋譜となって千里をこえてゆく。それはすごくいいな、と素直に思った。

 

 将棋を知らない人にこそ楽しんでほしいと思える傑作でした。ひとつひとつの手のなかに想いがこもっていることを踏まえると、世界の見え方が少し変わっていくような気がします。